愛のメモリー~シュウザーにはDr.クラインがわからない~
「——小此木博士を始末しろ。証拠はなるべく残すな」
淡々とした声で言い放ち、目の前の科学者は、踵を返していった。
Dr.クライン。元々はバイオメカニクスの研究者として名を馳せていたと聞く。この俺や、他のブラッククロスの団員に、改造手術を施したところからも、それは事実なのだろう。
だが、実のところ、俺は——いや、俺たちは、Dr.クラインについて、何も知らないと言っても過言ではなかった。奴はほとんどの時間をラボで過ごしている。奴自身が開発したメカであるメタルブラックを除けば、四天王の俺たちとも、顔を合わせることはあまりなかった。この俺でさえ、言葉を交わす機会があるとすれば、クロービットのメンテナンスの時か、首領からの指令を伝達される時だけだった。
そのうえ奴は、自分自身のことを決して話さない。おおよそ、首領の地位を狙っているうちの一人か、もしくは、自らの知的好奇心を満たすためならどんなことでも手を染める、頭のイカれた科学者なのだろう。だが、腹の底では何を考えているのか読めない相手に付き従うのは、面白くないと感じることもある。
——まあ何にせよ、俺にはどうでもいいことだが。
俺にとっては、手に入れた強大な力を、思いのままに振るえるのならば、それが誰から与えられるものでも構いはしないのだ。その力をもって、歯向かう奴らは叩き潰し、いずれは四天王のトップに立つ。いずれ訪れるその日を思うだけで、湧き上がる高揚感に身体が震えた。
「キー!」
「なんだ、せっかく俺様が野望を語っているというのに」
水を差してきた戦闘員に肘を入れると、戦闘員は小さく悲鳴を上げながら、ある一点を指差した。
「……ん?」
視線を向けると、先程までDr.クラインが立っていた場所に、使い古された手帳のようなものがあった。立ち去る際に落としたのだろうが、気がつかないのか、取りに戻る気配は今のところない。
「案外と不用心なようだな」
顎をしゃくって傍らの戦闘員にそれを拾わせる。奴に興味があるわけではないが、弱みの一つでもわかれば愉快だ。
戦闘員に開かせたページには、一枚の写真が貼られていた。色褪せた写真の中では、髪を逆立てた子どもが、歯を見せて笑っている姿があった。
「ははん、奴の息子か? 見かけによらず、子煩悩なものだ」
捻り潰せばいい悲鳴が聴けそうだ、と思いながらページを眺めていると、写真の下には、走り書きのような字で、小さく何かが書かれていた。
「なになに、えー、『小此木烈人くん、五歳の誕生日おめでとう』……はぁ⁉」
予想だにしない文字列に、ぎょっとして大声を上げる。戦闘員はびくりと肩を跳ねさせ、律儀にもパラパラとページをめくり始めた。おびただしい数の写真が、次々と目に入る。
「こっちは『三歳のクリスマスに』、『小学校の入学式』……ええい、一体何なんだ、これは⁉ それに、『小此木』⁉︎ ……まさか、小此木博士の息子か⁉」
ところどころ水に濡れたように滲んでいてよく読めないが、おそらく、すべての写真に、いつ、何があったかが、詳細に書き殴られていた。
改造手術で処理能力を強化された脳でさえ、この状況を理解できない。俺は何を見せられているのだ。それに、なぜDr.クラインが、始末しろと命じたはずの小此木博士の、その息子の写真を大層大事に持っているのだ。情報の洪水に、思考回路が火花をあげる。
ページをめくる戦闘員の指先も震えている。覆面の下では、きっと俺と同じような表情を浮かべているのだろう。キー、と威勢よく叫ぶ声も、今は弱々しく震えていた。
「——ああ、よく撮れているだろう? ちなみに私のイチオシは七歳の誕生日だ」
「おわっ!?」
いつの間にか背後に現れていたDr.クラインの声に飛び上がる。頭から湯気を上げる俺たちなぞ意に介さないまま、戦闘員の手から手帳を取り上げると、Dr.クラインはパラパラとページをめくり始めた。これだ、と指差された写真の中では、若き日の小此木博士と、その息子と、Dr.クラインが並んで映っている。ますます理解が及ばない状況に、足元がぐらついてくる。
「見ろ、この嬉しそうな顔を。ケーキ一つでこれだ。無邪気なものだろう? ちなみにその時に、お礼だと言って渡されたのがこれだ」
わずかに口の端を吊り上げると、Dr.クラインはどこからか取り出した、丁寧にコーティングされた手紙を俺の顔の前に突き付けてきた。紙いっぱいに並んだ拙い文字を目で追っても、内容が頭に全く入ってこない。
「勉強も私が見てやったんだぞ。なかなかに覚えのいい子でな。末は博士か大臣か、なんて小此木とよく話したものだ」
だらだらと冷や汗を流す俺たちには目もくれず、Dr.クラインは写真を指でなぞりながら、しばらく一人でべらべらと話を続けた。触れてはいけないものに手を出してしまったような、恐怖に近い感情がぐるぐると頭を渦まき、Dr.クラインの声が右から左に流れていく。心なしか眩暈までしてきた。
「……と、いうワケだ」
ひとしきり思い出話をして満足したのか、Dr.クラインはふぅ、と息を吐き、遠くを見るような目をした。
「……今頃は十九歳になるか。あー、大きくなったんだろうな。……邪魔立てさえ、してくれなければな」
ぶつぶつと呟きながら、手帳をポケットにしまうと、その場で凍りつく俺たちを置いて、踵を鳴らしながら去っていった。
キー、と困惑の声を漏らす戦闘員と顔を見合わせる。何もかもを理解し難いこの状況で、唯一わかったのは、Dr.クラインという人間がわからない、ということだった。
あとがき
天才と狂人って紙一重ですよね。
私はDr.クラインを小此木烈人の親戚ヅラおじさんだと思っている。