Crazy About You.

 リージョンシップを降りて数歩、鼻先に漂う上品なアルコールの香りが来訪者を出迎える。
 ここ、ヨークランドは酒造りの名所と謳われるリージョンで、作られた酒はトリニティの上層部にも献上されていたほどの銘酒として知られている。そんなヨークランドにこの俺、ヒューズが足を運んだ理由はただ一つ、酒盛りってワケ。  でも、ただ酒を飲みに来たってわけじゃない。今日は俺にとっても、あいつにとっても特別な日だからだ。

 ——二十歳になった。せっかくだから一緒に酒を飲もう。

 レッドからそんな連絡を受けたのは、つい先日のこと。レッドと俺は、悪の秘密組織であるブラッククロスの捜査の途中で出会った。俺のことを「おっさん」なんて失礼な呼び方をする、生意気で危なっかしくて、そのくせまっすぐでお人好しな、そんな青年だった。あいつがまさか、巷で噂の正義のヒーロー、アルカイザーの正体だったなんて知った日にはひっくり返りそうにもなったっけ。あの小僧がそんな歳になるなんて、と改めて実感し、ガラにもなく目頭が熱くなった。

「あいつも、もうハタチかぁ」

 二十歳、あいつの地元、シュライクでは立派な大人の仲間入りをする歳だ。それならば、美味い酒が飲める場所で派手に祝ってやろうじゃないか、と宴の場所にはヨークランドを選んだ。ついでに地酒に詳しいだろうとリュートも誘ったんだが、これが悲劇の始まりだった。

「——ほらレッド、お前が主役なんだぞ~。もっと飲め飲め~♪」
「……むり……おれ、もう、限界、かも……」

 少し席を離れた間にこのザマだ。始めこそ、二十歳になったレッドを祝っての和やかなムードだったはずが、もともと酒癖がよくないうえに、興が乗じたリュートが次々と酒を飲ませたおかげで、酒に不慣れなレッドは早々に酔い潰れ、名前の通りに真っ赤な顔で目を回していたというワケだった。

「なんだ~? 俺の酒が飲めないってのか~?」
「うぅ……たすけ、て……」

 上機嫌でグラスに酒を注ぎ続けるリュートに反し、レッドはカウンターに突っ伏し、今にも意識を手放しそうになっている。
 さすがにこれはマズい。こんな時まで人を惹きつけなくていいってのに、リュートは周りの客まで巻き込んでレッドのグラスに酒を注いでいる。店主、こんな時に秘蔵の地酒なんて持ってこなくていいんだぞ。そこのオヤジもだ。

「……ったく。おいリュート、さすがにこれはやりすぎなんじゃないか?」
「え~、せっかくのお祝いなんだし、にぎやかな方がいいと思ったんだけどな~」
「にぎやかにも加減ってモンがなぁ……いったいどんだけ飲ませたんだよ」
「言うほど飲ませてないぜ? えーと、あれを一杯だろ、それとそこのビンのを三杯ぐらい……って、これは俺が飲んだ分だった」
「はーっ、話にならないな、こりゃ」
「まあまあ、ヒューズさんも飲んで飲んで。飲めば飲むほど強くなる~♪」

 見ているだけで悪酔いしそうな量の酒をグイグイと押し付けられる。遠方からの来客には酒を振る舞うのがヨークランドの風習とはいえ、いくらなんでも限度があるだろう。
 目の前でどんどん増えていくグラスを見て見ぬ振りし、うにゃうにゃとよくわからない譫言を口走っているレッドの側に寄る。

「おい、レッド。自分で立てるか?」
「ん……たてる、と、おもう……」

 回りに回った酒のせいで足元が定まらないのか、椅子から立ち上がったものの、そのままふらりと倒れ込みそうになったレッドを慌てて支えた。こんな酩酊状態の青年を一人で帰らせるのは、さすがに無理がある。転んで頭でも打たれたら厄介だ。

「……ったく。ほーら、レッドくん。ヒューズお兄さんの肩につかまりなさい」
「う……ありがと、おっさん……」

 ——こんな時までおっさん扱いかよ。
 内心舌打ちをしながら、レッドに肩を貸し、ゆっくりと立ち上がらせる。当のレッドは身体に力が入らないのか、こちらのことなどお構いなしに寄りかかってくるおかげで、こっちまで倒れそうになる。こいつ、意外とガッチリしてんだよなあ。

「じゃあ、俺たち先に帰るぜ。代金は置いとくから……って、聞こえてないな、こりゃ」

 初対面であろうオヤジたちとも意気投合し、どんちゃん騒ぎを始めたリュートを尻目に、俺はレッドを半ば担ぐようにしてシップの発着場へ向かった。

+ + +

 レッドを俺の家に連れていくと決めたところまではよかった。シップに乗っている最中、レッドは俺の肩にもたれ静かに眠っていた——俺の一張羅に遠慮なくよだれを垂らしていたのは、今回は不問にしてやる——が、シップを降りてからが大変だった。

「子どもじゃないんだ、一人で歩ける」

 レッドはそう言ながら、俺の腕を振り解こうと身体を捩らせた。一眠りして少しはしゃっきりしたのだろうと、試しに一人で歩かせたところ、ふらりふらりと覚束ない足取りで進み始める。足の進む先には街灯。今にもぶつかりそうで、危なっかしてくてたまらない姿に、ぎょっとして走り寄り、その手を掴んだ。

「っ、お前なぁ、だから言わんこっちゃねえって……え?」

 いつの間にか俺の身体はふわりと宙に浮き、視界は上下逆さまにひっくり返っていた。遅れてやってきたのは、背中に走った衝撃と、割れんばかりの頭の痛み。
 まさか酔ったままスープレックスを決められるやつがいるなんて、誰が想像できただろうか。俺は背筋に冷たいものが走るのを感じながら跳ね起き、じりじりとレッドとの距離をとる。

「あー、レッドくん? 無駄な抵抗はやめて……って、これじゃカッコがつかねえな……」

 頭蓋にヒビが入っていないことを願いながら、ガンガンと警鐘を鳴らす脳みそをフル回転させ、どうにかレッドを宥める手立てを探す。このままDSCなんて成功されちまった暁には、きっと俺はお陀仏、明日の朝日は拝めないだろう。
 生き延びるための術を必死で巡らす俺をよそに、レッドはぼんやりとした瞳のまま拳を構え、深く腰を落とす。

「出たなブラッククロスの手先め……この俺が相手だ……」
「え、俺、あの覆面戦闘員だと思われてるの? うわー、ショック……」

 引退したとはいえ、さすがはヒーロー。その闘志は燃え尽きることはないのだ。……なんて考えている場合じゃない。レッドはしばらく隙をうかがうように俺を睨みつけながら、構えを崩そうとはしなかったが、やがて体力が尽きたのか、がくりと膝から頽れた。しめた、とばかりにレッドに駆け寄り、そのまま担ぐようにして歩き始める。足を進めるたびに、叩きつけられた頭がまだズキズキと痛んだが、今は少しでも早く家に帰りたかった。

+ + +

 ほうほうの体でマンションに辿り着いた頃には、日付を超えそうな時刻になっていた。ベッド代わりに使っているソファーに横たわらせると、レッドはそのまま、すうすうと寝息を立て始めた。

「……人様の家だってのに、よくもまあここまで無防備に眠れるもんだ、なぁ?」

 半ば呆れながら隣に腰掛け、何となしにその寝顔を眺めてみる。
 アルコールのせいで血流が良くなっているのか、頬はほんのりと紅潮しており、炎のように逆立てられていた髪型は無造作に乱れていた。前髪は汗のせいか額に貼り付いており、閉じられたまぶたにはまつ毛が微かに影を落としている。普段の勇ましさや生意気さからは想像もつかないほどに、あどけない寝顔だった。
 思えば肉親を、あったはずの日常を失いながらも、こいつは正義のヒーローとしてひとりで巨大な組織と戦い続けてきた。その怒りは、哀しみは、そして孤独さはいったいどれほどのものだったのだろう。その悲壮さを抱えていた青年が、今は俺の前で子どものように眠っている。そんな姿を見ていると、急に愛しさのようなものがこみ上げてきた。
 頬にそっと触れ、ゆっくりと撫でおろす。手のひらに吸い付いてくる、汗ばんだ肌のぬくもりが心地よい。指先をすべらすように顎を撫で、薄く開いた唇に親指で触れる。少しカサついていて、柔らかく熱い感触を確かめるように、何度もその輪郭をなぞる。

「ん……」

 微かに漏れた声にぎくりとし、慌てて手を引っ込める。幸いにも、目を覚ます様子はない。ほっと胸をなでおろすと同時に、なんともいえない決まりの悪さを感じ、頭を掻いた。

「……飲みすぎたな、うん」

 そもそも、こいつは俺のことをおっさん呼ばわりする、超がつくほど生意気なクソガキだ。それに体もデカけりゃ態度もでかい。そんなやつを一瞬でもかわいいとか、愛しいとか思ってしまうなんて、気の迷い以外の何でもない。酒は人を狂わせるって言うしな。
 妙な考えを振り払うべく、シャワールームへと足を運ぼうとしたが、どうにも眠い。両足がストライキでも起こしてるんじゃないかってくらいに動こうとしない。男一人を担いで帰ってきたのだから、そりゃ疲れもするはずだ。もうこのまま寝ちまうのもいいか、と床に身体を投げ出す。働くときはキッチリ働き、休む時は思いっきり休む、それがデキる男ってもんだろ?
そんなことを考えながら、しばらく微睡んでいたが、やがて、ゆっくりと眠りに落ちていった。

+ + +

「——ぶえっくしゅん!!」

 自分のくしゃみで目を覚まし、部屋を包むひんやりとした空気に、身震いする。
 時計を見れば、針は深夜を指していた。あたたかく過ごしやすい気候になりました、なんて言われ始めてはいるが、夜はまだまだ冷える。おまけに床で寝たのもよくなかったのだろうか、身体の節々が悲鳴をあげている。このまま寝続ければ風邪をひくのは確実だ。寝室へ向かおうと、気怠いままの身体をどうにか起こした時だった。

「……ん、ぅ」

 微かな声が耳に入るのと共に、レッドがもぞもぞと起き上がるのが視界に入った。

「あ、起こしちまったか? ごめんごめん」
「ふあ……ん、大丈夫……」

 まだ酒が抜けきっていないのか、レッドは眠たげにとろんと潤んだ瞳をこちらに向ける。こいつがカワイイ女の子だったら俺はイチコロだったね……って、いかんいかん。酔いの残った頭を醒ますように頭を振り、レッドに向き直る。

「あー、部屋、寒くないか? ちょっと毛布でも持ってこようかって……」

 立ち上がろうとした時、レッドに腕をぐいと引かれ、バランスを崩しそのままソファに腰掛けた。しばしの間、こちらをじっと見ているレッドと視線が合う。沈黙に気まずさを覚え、何か気の利いたことでも話そうと口を開こうとした、その瞬間。
 ふに、と柔らかいものが唇に触れ、すぐに離される。それがキスであると気づくのに時間はかからなかった。
 呆気にとられる俺を見て、レッドはしてやったりといわんばかりに目を細めてふにゃりと笑う。

「俺さ、あんたのこと、きらいじゃないんだぜ」

 ぽつりぽつりと、独り言のようにレッドは続ける。

「短気なくせに情に厚いとことか、タバコが似合うとことか、かっこいいとこ。俺の憧れなんだ。だから、この前キスされたとき、びっくりしたけど、うれしかったのかもしれない」

 この前。その言葉に、ある光景が脳裏をよぎる。あれはパトロールの帰り路に、シュライクに立ち寄ったとき、偶然レッドと再会した時のこと。タバコをふかす俺のことを見つめるその目が、背伸びをする子どものようで無性にかわいくて、自分でもわからないが、思春期の頃のような、そんな胸のざわめきを覚えて、気づいた時には唇を重ねていた。
 まさか、それがレッドにとってのファーストキスだったとは思わなかったが、衝動に任せてそんなことをした戸惑いと、罪悪感で、しばらくあいつの顔が頭から離れなかった。あれから、レッドから何も言われなかったのは、忘れたいからだと思っていた。レッドにとって俺はきっと、年の離れた兄弟のような、ただの世話焼きのような、それだけの存在だったはずだから。
 しばしの沈黙の後、レッドは目を伏せたまま、ゆっくりと口を開いた。

「……嫌じゃなかったんだ。自分でもびっくりしてる。……けど、あれからずっとあんたのこと考えてる。今だって、すごくドキドキしてるんだ」

 眉尻を下げ、困ったような表情を浮かべながら、レッドは言葉を紡いでいく。続きが聞きたくて、でもなぜか、聞くのがためらわれるようで、その口元から目が離せない。
 速さを増す鼓動の音が響き続けるなかで、柔らかな声が、はっきりと耳に届いた。

「……俺、あんたのこと好きだよ、ヒューズ」

 押さえていた気持ちが、堰を切ったように溢れ出していく。もやもやと抱えていた感情の正体が、今、ようやくわかった。
 満足したように、再び眠ろうとするレッドの身体を引き寄せ、薄く開いた唇を唇で塞ぐ。歯列をこじ開け、舌を探り当て絡ませると、触れ合う粘膜と交わる吐息の熱さに脳が甘く痺れた。

「っ、まっ、て……ん、ふッ」

 逃げるように離された唇を追いかけ、もう一度口づける。隙間から漏れる吐息は混じりあい、もはやどちらのものなのかわからない。縋るように伸ばされた腕が肩に回され、ぎゅ、と強くしがみついてくる。そんな様子がひどく愛おしくて、抱き返す腕に自然と力がこもる。
 俺もきっと、いや、きっとじゃない。レッドのことが好きなんだ。生意気で背伸びしがちで、態度も身体もデカくて、それでいてまっすぐなレッドのことが。全部欲しくてたまらない。

「……っ、ん……ッ!」

 胸をどんどんと叩かれ、我に返る。腕の力を緩め、ゆっくりと唇を離せば、レッドはうっすらと涙を浮かべ、肩を喘がせた。

「……悪い、苦しかったよな」
「ん……だいじょうぶ……」

 赤く染まった頬のまま、レッドが視線をふわりと宙に投げた。そのまま床に滑り落ちそうになったのを支えてやると、レッドは、へへ、と力なく笑みを浮かべた。

「なんか、ぼうっとする……水、ほしいかも……」
「わかった。今持ってきてやるから」

 もう一度レッドをソファに座らせ、ゆらゆらと立ち上がり、キッチンへと向かう。冷蔵庫からペットボトルを取り出し、グラスを二つ抱えながらリビングに戻ると、レッドはすやすやと規則正しい呼吸をしながら眠りについていた。

「おいおい......本ッ当に、仕方のないヤツ」

 眠るレッドの髪をくしゃりと撫でる。先ほどまでの光景が嘘のような穏やかな寝顔に、肩透かしを食ったような気分になったが、それも不思議と悪くはなかった。
 窓の外を見れば月の位置はまだ高い。床に腰掛け、側にあった蒸留酒のビンの蓋を開け、グラスに注ぐ。いつもはなかなか飲まない、ちょっと高級なものだ。グラスを少し高く持ち上げ、口元に運び飲み干していく。鼻腔をくすぐるアルコールの香りが身に染みる。

「今日は特別な日、だもんな」

 少しくらい飲みすぎてもいいだろう。再びグラスに蒸留酒を注ぎながら、そんなことを考える。今度は、二人きりで飲みに行こう。次こそきちんとお祝いをして、その時には、きっと。
 そんなことを考えていたが、だんだんと心地のよい眠気がやってきて、そのまま眠りについた。

+ + +

「おい、おっさん。起きろって」

 頭をぺしぺしと叩かれ、目が覚めた。二日酔いか、それとも昨夜のスープレックスのせいか、ズキズキと頭が痛む。床で眠ったせいか、身体中の関節が抗議の声をあげている。いつの間にかカーテンは開けられており、窓から差し込む朝の光が、暴力的な刺激となって襲い掛かってきた。

「っ、痛ってえ……」
「大丈夫かよ……って、うっわ。たんこぶできてないかこれ」
「触るな触るな、泣くほど痛いんだぞ。いったい誰のせいだと思って……って、お前、昨夜のことって覚えてる?」
「昨夜?」

 問い詰めてみると、きょとんとした表情を浮かべたまま、レッドは鼻の頭をポリポリと掻いた。

「うーん、おっさんと一緒に店を出て、シップに乗ったあたりまでは記憶があるんだけど……。そっから先はイマイチ覚えてないんだよな。俺、なんかやらかしてない?」

 あっけらかんと言ってのけるレッドの声に、身体中の力が抜けていくのを感じた。

「そ、そっか……はは……はぁ……」

 なんてこった。あれだけドラマチックな告白をされたというのに、当の本人が何も覚えていないというのだ。俺は、自分のしたことが無性に恥ずかしくなって、天を仰いだ。

「ところで、なんで俺、ヒューズの家にいるの?」
「お前なぁ……まあいいや」

 溜め息をつきながらふと時計を見れば、行きつけのファーストフード店がそろそろ営業を始める時間だった。

「せっかくだし、マンハッタンで朝飯でもどうだ? いい店を知ってるんだ」
「大賛成! もちろんおっさんのおごりだよな?」
「お前なぁ……ま、そういうことにしてやるよ」

 ソファに寝そべるレッドの髪をぐしゃぐしゃと撫でる。子ども扱いするなよ! と、ふてくされる声がしたが構うものか。崩れた髪をなんとか直そうと苦戦する姿がほほえましくて、思わず口元が緩んでしまう。そんな子どもっぽいところにも、きっと俺は夢中なのだろう。

「また今度、きちんと伝えるからな」
「……? 今、なんか言った?」

 ぽつりとつぶやいた声は、レッドの耳には届かなかったようだ。でも、今はそれでいい。

「なんでもねーよ。それより、早く準備しようぜ」
「……わかったよ。あ、シャワー借りていい?」
「ご自由に~。なんなら一緒に入るか?」
「冗談でもそれはどうかと思うぜ」

 そんな軽口を交わしながら、ふと覗いた窓の外の景色は、春の日差しを受けていつもよりきらめいて見えた。

mainへ戻る